粟原寺跡

  • 2007.03.22 Thursday
  • 16:13
 粟原寺跡(国指定史跡)
粟原集落南端の天満神社境内及び、隣接地に、塔跡・金堂跡が残り、標高二六〇m前後に位置する。この粟原寺建立のいきさつを刻んだ三重塔の伏鉢は、談山神社蔵(国宝)として残っている。その銘文によると、中臣大島が草壁皇子のために発願し、比売朝臣額田が持統天皇八年(694)から造営を始め、和銅八年(715)に完成したことがわかる。
桜井市教育委員会

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古尓戀良武鳥者霍公鳥盖哉鳴之吾念流碁騰
古に恋ふらむ鳥はほととぎすけだしや鳴きし我が恋ふるごと

 当地には、「有名な万葉の女流・額田王の終焉の地だ」と言う伝承が遺されています。さすれば、国宝・粟原寺三重塔露盤の銘文にある比賣朝臣額田が、その人であるかも知れません。この事は、史的考証はなくて詩的確信です。
 数奇な運命を辿った彼女は、天武帝崩後の複雑な立場の拠り所を この地に求めたものと想われます。
 天智帝の子、弓削皇子も、壬申の乱後の微妙な立場を生きました。持統女帝の吉野行幸に随行した皇子は、離宮の井戸の上を鳴き渡って行ったほととぎすの声に託して、ひそかな懐旧追慕の情を額田に訴え、これを受けた額田は、わが心とからだのうちそとを通り過ぎて行った人々の回想追慕の悲しみを詠いました。
 この贈答歌は、お二人の真情が惻々と伝わりますし、その舞台は、ただ空しい時間と風だけが吹き過ぎて行くこの山峡が、最もふさわしいと感じます。
 この地を愛し、この歌に惹かれた篤学の人、金本朝一氏の御遺志に依って、この碑は建立されました。
 昭和六十三年十月二十一日
粟原区

なんとも詩的な表現の看板。
「わが心とからだのうちそと」とな。_¢(0-0ヘ)メモメモ


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