高野山のお土産

  • 2006.03.21 Tuesday
  • 15:12
高野山のお土産といえば「胡麻豆腐」に「高野槙」が有名ですが、「かるかや餅」も、いいですよ。あんこが入ったきなこ餅です。箱の中に『苅萱と石童丸(一代記)』のお話が入っています。
どんなお話かと云いますと〜
【苅萱・かるかや】
説経節の曲名。筑前苅萱の庄、松浦の党の「総領加藤左衛門繁氏」は二十一歳で、筑前・肥前・肥後・大隅・薩摩六ヶ国の領主でした。妻は十九歳、三歳になる千代鶴姫とお腹に七ヶ月半になる児を身籠もっておりました。あるとき繁氏は、妻と妾(父の旧友朽木尚光の遺児:千里を引きとって一緒に暮らしていた)と共に花見の宴を開きました。表面は仲睦まじい二人の女性でしたが、嫉妬の心のありさまを見て繁氏は、わが身の罪の深さに驚き、無常を感じて郷里を出たのでした。
その後、勧進聖に教えられて新黒谷の法然上人を訪ねました。剃髪して「苅萱道心」と名のったそうです。それから十三年、生まれた子供「石童丸」があまりに父を慕うので、母は石道丸を連れて上洛し、新黒谷に石堂丸の父を訪ねたのですが、高野に移ったことを知って、さらに跡を追うのでした。
しかし、高野山は当時女人禁制のために、母は麓の学文路(かむろ・和歌山県橋本市)にとどまります。石道丸は一人で高野山へと登って行きました。七日間探しても父に出会うことなく、むなしく思っているところへ、無明橋の上でたまたま親切な道心に出会います。道心は石道丸が、我が子だと知りつつも「たずねる人は、去年秋に亡くなった」と話して、下山するようにいいました。宿に戻ると、母は歎きのあまりに息を引き取ってしまいます。石道丸はまた高野山へと向かい、親切な道心(実は父)に助けを求めて、母を火葬にして郷里へ戻ります。
 帰ってみると、姉が亡くなって七日の供養をしているところでした。姉の遺骨を持って高野に上り、かの道心に会い、蓮台野で出家して「道念坊」と称したのでした。「苅萱」は下山して信州善光寺にこもり、八十三歳で往生しました。「道念坊」も同じ日に、六十三歳で亡くなりました。
〜善光寺の親子地蔵の由来〜だそうです。
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